草々不一

長文で書きたくなったことを保存します。誰かに届きますように。

いや、だめなのかい

 昼頃の暖かさに油断していたなと寒くなっていくホームで考えていると、電車に運ばれた風が一層身を震えさせた。まばらだった群衆は、いくつもの列になって扉が開くのを待っている。僕も食べていたおにぎりの残りを口に放り列に並んだ。

 

 今回は仙台への小旅行である。常磐線で北上し、夜の11時につく予定だ。常磐線は震災の影響で途中がつながっておらず、代行バスになっている。そのため普段は高速バスを利用していたが、今回はこの代行バスを利用するルートを選んだ。

 

 いわきを経由して、午後8時ごろ富岡駅に着いた。ここから浪江駅まで一時間バス移動である。富岡駅はとてもきれいだったが、それは利用者が少ないことの証明なような気もした。富岡・浪江間がバス運行である理由は福島第一原発である。放射線の汚染処理と復旧が完了していないため現在も電車が通れない。駅には改札が存在しておらず、駅員もいないためSuicaでの清算はできなかった。システムに戸惑いながらも駅を出ると、駅周辺は少し明るかったが背景は完全な黒だった。自然の静けさとは違う、人工的な無音。生き物なんて自分たちしかいないかのような感覚だった。きれいに整備された駅前のバス乗り場がより人工感を出している。しかしその作りは代行バス用の簡素なものではなく復興後に活躍させる設計だと感じさせられた。

 

 バスはすでに停まっており、下車した我々を待っていた。乗車時切符を確認されたがSuicaで来た旨を説明すると最終下車駅で大丈夫なようで、バスに乗せてもらえた。自分以外には老夫婦と女性二人、外国人の団体5人の客が乗車した。乗務員は運転手と添乗員の2人であった。バスは国道6号を走る。途中までは家や街燈があったが帰還困難区域に入るとバスのフロントライトとたまに通る対向車、そしてこれまたたまにある信号の光だけとなった。発電するための施設がこの暗闇の原因となっている皮肉が、バスの車窓に映る見慣れた顔を歪ませた。というか自分の顔しか見えないので窓から目を逸らすのだった。

 

 浪江駅周辺は街燈がついていたが、それがまた人っ気のなさを出していた。バスが着いてから電車が来るまで20分ほど時間があったので辺りを見て回ったが、外国人の方々の声が建物に反響して聞こえてくるだけだった。浪江駅にも改札はなくホームにそのまま入ることができ、なるほど下車していない扱いになるのだなとシステムを理解した。ホーム内はいたるところに工事用の柵があり、行ける場所が制限されていた。柵で区切っている感じがなんとなくオープンワールドRPGの透明な壁を連想させるなと思いながら歩いていく。仙台方面と書かれたホームだけ柵が張られておらず、そこに電車が来るのだろうと考えられた。電車は定刻通りに、一人の客も乗せずに到着し我々を乗せて発進した。

 

 電車内で原子力発電所の問題について考えた。ちょうどその日原発について学ぶ機会があり、技術的によく考えて作られているものなのだという再認識もしていたが、やはりこれは技術や数値上の危険性だけの問題ではないのだなと思った。自分が慣れ親しんだ街があんな暗闇に染まるのは考えただけでもぞっとする。震災直後津波の被害にあった地域を見に行った時に感じた、月並みに言えば言葉にできない感覚が蘇る体験だった。同時に実際に体験していない、報道や著書などから生まれた自分の意見がいかに安直なものなのかを思い知らされたのだった。

 

 明るい光とともに見慣れたホームが車窓に映ってきた。下車し改札に向かう。慣れた足取りで改札へ向かいながら今日は移動だけで色々な体験ができたなと思った。長い時間の移動だったがあとは歩いて10分もかからない。一息ついて改札にSuicaを近づける。改札は大きな電子音を鳴らし僕の通行を止め、「改札口へ行き、係員へお知らせください」と表示されるのであった。