草々不一

長文で書きたくなったことを保存します。誰かに届きますように。

バグパイプにて

 先日岐阜県高山市に行った。主な目的は「氷菓」というアニメで出てきた場所を巡る、所謂聖地巡礼である。氷菓は市内の高校を中心とした物語で、市内で参考になった場所は20を超える。その中でも印象深かった場所に「バグパイプ」という喫茶店がある。

 

 「バグパイプ」は実在する喫茶店で、作中では「パイナップルサンド」という名前で登場する。作品名である「氷菓」についての謎を最初に言及される場所であり、また主人公の折木奉太郎がヒロインの千反田えると学校外で初めて会ったシーンでもある。僕は前々から作中の喫茶店が外装も内装も実在の喫茶店を忠実に再現しているらしいと聞いており、非常に興味があった。

 

 バグパイプは市内の観光地が密集しているところにあり、自分のイメージにピタリと一致するほど作中の見た目と似ていたためすぐに見つけることができた。しかし僕はその後、バグパイプの中に入るのに1時間ほどの時間を要する。なぜならこの喫茶店、入っていくのはカップルだけなのだ。バグパイプは勿論氷菓ファンだけが入るわけではない。むしろほとんどの観光客は氷菓を知らないため普通のお洒落な喫茶店として利用する。僕は一人旅で高山に来ており、そもそも彼女がいない。ウルトラライトダウンを羽織りチノパンに黒のTシャツで、パンパンに膨れ上がったバックパックの両脇にはペットボトルが刺さっている。こんな状態でこのお洒落な喫茶店に入るには尋常でない勇気を必要とするのだ。とりあえず外装で満足したことにし、他の場所を廻った。

 

 時間が過ぎるにつれて増えていく「中の様子も見たい」という気持ち、刻々と減っていく高山に居られる時間。僕は行こうと考えていたすべての観光を終えた後、もう一度バグパイプの店頭に立った。「ここで入らなかったらせっかくの機会を逃したという後悔と、恥ずかしいだけでこんなことすら逃げてしまう自分への軽蔑を一生背負うことになる」と、覚悟を決めてバグパイプの扉を開けたのだった。

 

 入ってすぐ氷菓で使用された席を見たが、すでにカップルが座っていた。窓際の角の席であるため仕方がないと思った。他にも2組ほどいたため、内装の写真を撮るのは控えることにした。店内は15人程度が入れそうな大きさであり、外装に負けずイメージ通りの内装で感動する。僕は希望の席に座れなかったことを少し残念に思いながら、その席から2つ横の席に座りメニューを見た。主人公が頼んだのはコーヒーだったが、あまりパッとしないなと思いヒロインが注文したウインナーココアを頼もうと考える。その時横から「このココア美味しい」と言った会話が聞こえた。またも先んじられたことで反発心を覚え、ココアではなくウインナーコーヒーを頼むことにした。5分も経たないうちに注文したものが届き軽めの昼食を口にした。

 

 注文したものはどれも美味しく、店内の雰囲気もとても良かった。作中でも印象的に表現されていたが、店内には複数の掛け時計が設置されている。これらの秒針は優しい音で時を刻んでおり、ゆっくりとしていいのだと感じさせるものだった。勝手に感じていた劣等感も徐々に小さくなっていく。浮いていたクリームがコーヒーに溶けきったところで、事前に調べて存在を知っていた氷菓の「巡礼ノート」を手にした。その中には多くの氷菓ファンが言葉や絵を残しており、それらは日本語だけにとどまらず沢山の言語が書かれていた。一通り目を通すと、ちょうど横の席の女性が会計に向かったので「席が空いたら写真だけ撮らせてもらおうかな」などと思いながら、自分も何か書くかとペンを握った。昨日の日付が書いてある感想の下に自分の感想を書く。希望と強がりと、僕のような葛藤の末ここに踏み込んだ愛すべきアニオタたちに伝わればいいなと「一人で入るのは勇気が要りました、いつかまた彼女と来ます」と結んだ。匿名だから自分にしかわからないだろうし、いつか笑い話にできればいいなと思う。会計を済ませたカップルは、何故か男性のほうが「もう少し待っててくれない?」と言って立ち去らない。仕方がないのでノートを返し、会計を済ませた。店の扉に手をかけようとしたとき、例の男性がおもむろに立ち上がり巡礼ノートを手にしたのだった。

 

 扉を開き、外に出る。恥ずかしさで赤くなった顔には、3月の空気は冷たすぎた。