草々不一

長文で書きたくなったことを保存します。誰かに届きますように。

台風一来

 AM5:00男は決意した、今日実家に帰ると。これは彼にとって、青春18切符を使った京都旅行の予定を悉く台風21号につぶされた、せめてもの抵抗だった。台風に追いつかれる前に北上し、人間様の移動速度の前には「自転車並みの速度」ごときで移動する自然現象ではどうしようもないことを見せつける算段なのである。時刻表を検索すると7:30頃に発車する電車があるようなのでこれに間に合うように行動を起こすことに決めた。

  男の準備は順調だった。といっても本来台風が通過してから帰省するつもりだったため、事前に特に何か準備していたわけではない。洗濯機を回しシャワーを浴び、今日は台風だけど大丈夫なのかと思いつつごみを捨てに行く。その後服を真空パックに詰め、持っていく本や電子機器は机に出しておき、財布や貴重品はこたつの上に置いた。そして大きめのリュックに服から順に入れる。細々したものは案外移動中に使いたくなるので入れるのは最後のほうにする。そうこうしている間に洗濯が終わり、干す作業に移行した。

  準備も最終段階に入り、忘れてはならないものを手にする、輪行袋だ。そう、今回の帰省の目玉は輪行である。実家の周辺で行ってみたいところがあるため今回はロードバイクを持っていくことに決めていた。輪行袋を持ち、家中のコンセントを抜く。いよいよ準備は完了したのだ。

  駅までの移動手段は勿論自転車だ。家を出て、どのごみ置き場にもごみ袋が積んであるのを見て安心しながら進んでいく。早朝だからなのか台風の影響なのか気温がいつもより低く、ペダルを漕ぐ力が自然と強くなっていく。道中では制服を着た中高生を見かけ夏休みが終わったのかと思いつつ、世間では「平成最後の夏の終わり」とか言ってるが自分の夏はこれからなのだと、どこにぶつけるわけでもない対抗心を燃やし始めた。

  駅に着き人の少ないところで輪行を始める。今までほとんど輪行はしたことがなかったので慣れない手つきではあるが、着実にまとめていく。電車も乗れるが自転車でも移動できるという自由度の高さを想像し、作業しながら今後の夏ライフに心躍らせていた。空もこのあと台風が来るとは思えない晴天で男の旅路を応援しているかのようだった。

  「よし終わった」

無事にロードバイク輪行袋に入れることができ、一息ついて持ってきた緑茶を飲む。太陽も徐々に昇り気温も上がってきたようで、ペットボトルを買っておいたのは正解だった。だがゆっくりしてもいられない、電車が来る予定まで10分を切っているのだ。そろそろホームに降りるべきだろう。

  この後の男の気持ちは想像に難くないだろう。後悔、落胆、己への呆れ、意気消沈。様々な感情が溢れ出し、それでも多くの人は同じ感情を想像できると思う。なぜなら男の身に起こったことは誰の身にも起こりえることであり、また警戒することだからだ。男は改札に向かうため荷物を持ち上げる前に、リュックの上のほうに詰めた小物の中から切符を出そうとして、刹那よみがえる視覚情報。それは夏用にと布団が取られたこたつの上に置かれている青春18切符であった。とどのつまり、切符を家に忘れたのだ。

  計画の積み木が音を立てて崩れていく。それとともに男のやる気も消えていった。それはもはや内心などという隔離されたものではなく、横を通る全ての駅利用者に伝わるほどのものであった。目の前の柵にもたれかかる。下に向いた眼には乗るはずだった電車が停車し、人々を乗せ発車する光景が映っていた。空はまるで「台風など呼ぶまでもない」とでも言いたげなくらいの晴天だった。